高知県の観光特使である、デハラさんに高知の魅力についてお聞きしました。
■ 高知の魅力を教えてください
一言でいうと、人がおおらか。
最近特に思うのは、印刷にしても広告にしても「あれやるな、これやるな」と規制が多くなってきたなと。多様な意見も聞くべきだと気を遣う世の流れの中、高知はそれがもっと緩い。それが人に対して配慮がないというのではなく、「そんなに細かいことを気にしよったらお互いストレスやろ。かまんき呑もうや」で済まされるというのが生きやすい。
東京だったらいろんな会議を何回もやって決まるのが、高知は一回の宴会で決まることもあるのが面白いなと思う。
距離感の近さ、高知の人のおおらかさ、のんびりした感じ。
高知ならではの空気感があって、僕はそこが好き。
食べ物も普通にスーパーに売っている物のレベルが高い。
どこで買っても心配がなく、何を買っても安い値段で美味しいものが食べられる。
その分、夜は呑んでしまうけど、バランスがとれているなと思う。
僕は高知の街育ちだが、高知の色んな土地に行くと山側と海側でもお酒の呑み方も違うし、それぞれ奥の深さを感じて、またこれから色々探っていくのが楽しみでもあります。
■ デハラさんのプロフィール
1974年 高知生まれカツオ育ち。
東京を拠点にフィギュアイラストレーターとして活動。
年間制作フィギュア300体。年間消費ビール300リットル。
ナイキ、NEC、タワーレコード、アシックスヨーロッパなどの広告を手がける一方、フィギュア作家として年間4~6回のペースで東京をはじめ台湾・韓国・香港・ニューヨーク・ロサンゼルス・パリなどで個展を開く。
■ フィギュアイラストレーターとして幅広く活躍
著書にフィギュア写真集「サトシ君のリストライフ」「ジバコレ」
- 2006年
- 絵本「お野菜戦争」出版
- 2008年
- 明治 『きのこの山』のキャラクターきの山さんをデザイン
- 明治『たけのこの里』のキャラクターたけ里ブラザーズをデザイン
- 2010年
- 『いきものがかり』のベストアルバム「いきものばかり」のジャケット担当
- 2015年
- 四国銀行のカレンダー担当
- 『土佐のおきゃく』公式キャラクターべろべろの神様をデザイン
- 2016年
- 『いきものがかり』ベストアルバム「超いきものばかり」のジャケット担当
- 桂浜水族館キャラクターおとどちゃんの制作
【デハラユキノリのヨルラジオ】
“キモカワイイ”作品で今大人気のフィギュアイラストレーター「デハラユキノリ」がついにRKCラジオのパーソナリティとして初登場!夜だから話せる?!奇想天外・斬新奇抜な「デハラアワー」は必聴です!
- RKC高知放送
- 毎週木曜日 23:00~24:00
- 再放送
- 毎週土曜日 21:00~22:00
■ 『土佐のおきゃく』と「べろべろの神様」をご紹介します。
もともと、観光シーズンじゃない時期に人を集めるため、多業種の同士が集まって「土佐のおきゃく」というイベントを始めたと聞いているが、後ろ指さされることなく昼間から呑んでいいという、高知らしいおおらかさを感じるそのお祭りが楽しくて、その度に、帰省していました。
その楽しさを他の人にも伝えるために、勝手に非公式ポスターを作って色んなとこに貼って貰ったり配ったりして、3年くらい色んなデザインでやっていたら、事務局の人から「ちょっと話がある」と呼ばれました。
行ってみると事務局の人たちが会議と称して宴会をしていて、「今度10周年になるので改めて、公式としてやらないか」と言われました。
それまでは非公式で勝手に、酔っ払いやゲロ吐いてるおじさんを使ったりして、好きにやっていました。この場で即答したらギャラ無しでやらされそうやという、せめぎ合いもありましたが、事務局のおじさんたちの話を聞いているうちに、「僕以外の大して酒呑みじゃない人がこの仕事やったら嫌や!」と思って「僕は人間が酔っ払いなんで、やらせてください!」と言って、引き受けることになりました。
古くからお座敷唄に唄われていた『べろべろの神様』を作ってくれという依頼だったので、それまで『べろべろの神様』というのがいるのは知っていたが、みんなどんなものか知らないので、いろんなものを勝手に想像していたが、それを具現化したのがこの『べろべろの神様』です。
その10周年(2015年)のときに、大きなサイズを作ったら、神社から神主さんが来て、『べろべろの神様』に大人たちがうやうやしく頭を下げているのを見たら、「何しゆうがやろ。この人たち」と思って、お酒呑むために大人たちが真面目にやっているのが面白かった。これが高知かと。
それから6年近く経つが、これが公式となってお祭りの目印になったので、これを見たら「土佐のおきゃく」だということがわかるようになりました。
もし広告代理店を通しての仕事だったら、股間についているものなど色々問題もあったと思うが、最後は「まあこれでえいがやない」とわりとすんなり通りました。
最初は反対の人もいたけど呑んで会議しているうちに「変な方がええか」「面白い方がえいがやない」となったそうです。
その時の実行委員長は、取材で「おへそですか?」と聞かれたら、「高知のおいしいものが詰まっている」と応えたりしていました(笑)
もし県外の人が作ったらこうならなかったかもしれない。
■ 高知イーブックスの運営会社 弘文印刷(株)とのお仕事はいかがでしたか?
思い出のエピソードなど聞かせてください。
ある忘年会で社長とお会いして、呑みながら話していた時。僕はフィギュアを作っているイメージが強いですが、一年ちょっと会社に勤めてデザインの仕事をしていました。その会社は印刷所もある会社で、自分がデザインしたものが印刷されるまで見れるのが楽しかったと話していたら、社長が「100色印刷をしたいがよ」とおっしゃった。
そんなこと聞いたことないし、何のためにやるのかと聞いたら、「何かやってみたいがよ」と言われました。
デザイナーは日々どれだけ色数を減らしていい見栄えにするかを追究しているのに逆に色数を100色まで増やせとは、 デザイナーからしたらすごい面白い試みだと思って、「僕やりたいです!すぐに原稿を持っていくので、やらせてください!」と言ったら、 「じゃあ、きいや」と言ってくれて、実際に印刷の機械とか紙とかを見せてくれました。
最初は7、8色の作品を自分の個展用に作らせて頂きました。それで大体やり方がわかったので次はもっと色数を増やそうという事になり、25色印刷でやることになったが、25色考えるだけでも似た色になるし、色が重なったら前の色が変わるし、どうなるのか仕上がりがやってみないとわからない。
仕上がりがいいものになるというより、やる過程が実験的なので、「ああ、社長はどうなるか見てみたいというのでやることになったんだな」とそれは、印刷屋さんならではの遊びであり、楽しみなんだなと思いました。
また、印刷マンが刷るインクを一色ずつ練って作ってくれるんですけど、僕がパソコンで色を想像して、色チップで色指定する。そのまんまの色を作って刷ると紙に載った時に色が変わるので、微妙な調整が必要になる。僕がイメージした色よりいつもきれいに仕上がるので、色一色作るのも大事な作業なんだなと、すごい技術だと感じた。
自分が思っている色より、ちょっとパキッとしたいい色を出してくれました。
それを「土佐のおきゃく」の非公式ポスターに使わせて頂きました。
それから「次は、100色やね」と言ってから止まっている。だから、まだ進行中なんです。
100色重ねたら最後は紙が真っ黒になると思うが、その過程を1から100まで並べて展示したいねと社長と話しています。
なぜこう(真っ黒に)なったのかというのがわかると面白い。
きっと、印刷自体の面白さに気づいてもらえると思います。