偉大なる植物学の父、牧野富太郎の生まれ故郷、佐川町には、町のあちこちに牧野博士ゆかりの場所があります。

●さかわの栞
牧野富太郎が産声を上げたのは、坂本龍馬が土佐を脱藩して1カ月後のことでした。幼くして両親を亡くし、 祖母に育てられた富太郎は、幼いころから植物に興味を持ち、小学校を2年で退学するも、植物採集をしたり、 書物で植物の名前を覚えたりと、独学で植物学の研究を続けました。 自ら「植物の精」と名乗るほど植物を愛した牧野博士の思いを感じながら、牧野博士ゆかりの場所を巡ってみてはいかがでしょうか。
佐川の町を一望できる「牧野公園」は、牧野博士が送った「ソメイヨシノ」の苗木から始まります。 「日本のさくら名所100選」にも選ばれ、一年を通して、多くの人の目を楽しませています。

●牧野公園 花めぐり
「牧野公園」は、明治35(1920)年、植物学者・牧野富太郎が東京より「ソメイヨシノ」の苗を佐川町に送り、地元の有志たちが青源寺の土手などに植えたことにはじまります。 大正初期から戦後、1000本以上の桜苗が植えられました。牧野富太郎が佐川町の名誉町民になり、96歳で永眠した後、「牧野公園」と名付けられ、分骨が埋葬されています。 1990年、高知を代表する桜の名所の1つとして、「日本のさくら名所100選」にも選ばれました。 牧野博士にとって、故郷を思わせる懐かしい花、「バイカオウレン」は、いまも生家の裏山にたくさん自生しています。
青山文庫の歴史は、明治43(1910)年1月に当時の佐川郵便局長・川田豊太郎が、高知県初の私設図書館「川田文庫」を創設した事からはじまります。
●佐川町立 青山文庫
「日本植物学の父」と称される植物学者・牧野富太郎は、佐川で酒造業を営む岸屋に生まれ、 幼時から植物への関心が強く、佐川の自然の中で植物知識を深めていったといいます。 青山文庫の『牧野富太郎室』には、佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士の事跡を、 博士の写生図などの植物画や、遺品とともに紹介しています。 牧野富太郎生誕150年を記念して、平成24(2012)年に佐川町総合文化センターから当館へ移設されました。